日常と音楽と乃木坂46と

なんとなく起きた事、日常の好きなこと、好きな音楽について、乃木坂46について。気の向いた時に。

乃木坂46になること。乃木坂46であること。

「ライブが帰ってくる」 3年間で今のライブ形式になれた中でもあったので、高揚感とも何とも取れぬ気持ちを持ちつつ、この1週間を迎えることになりました。

 

2023/2/22〜2/26、横浜アリーナにて、乃木坂46『11th year Birthday Live』が開催されました。

 

日毎の公演タイトルは下記の通り。

2/22(水) 〜全体ライブ〜

2/23(木) 〜5期生ライブ〜

2/24(金) 〜4期生ライブ〜

2/25(土) 〜3期生ライブ〜

2/26(日) 〜秋元真夏卒業コンサート

 

このうち、2/22〜25までのライブを配信で視聴し、最終日の2/26は会場へ足を運ぶ形で参加しました。

 

5日間を通して感じたのは、"乃木坂46とは何か"ということ。それに対する答えが各日のライブで、それぞれの意味を持って提示されていたと思います。

今回は、全日程で印象に残ったことを【全体】+【数曲のピックアップ】という形でなるべく短めに残していきます。(骨子作った段階で読み返しましたが無理でした。少し長いです)

 

今回の構成は以下の通りです。

 

 

 

1.現在地の再確認 〜全体ライブ~

 

この日はファン投票の上位20曲と、2022年の振り返りで構成されており、今の乃木坂がどのように世間に認知されているのか、その位置を再確認できるライブだったと思う。

 

まず感じたのは、乃木坂46はきちんと循環できているんだということ。

3期生、次いで4期生票田の強さが順位に表れ、また、その楽曲自体も3期生が活動開始した以降、またはそれに近い時期にある楽曲で構成されており、きちんと"今"を追っているファン層が多いのだなということを実感した。

 

※『やさしさとは』は比較的昔から人気のある楽曲だが、近年の乃木坂46においては2018年真夏の全国ツアーに端を発する齋藤飛鳥×大園桃子の物語に影響を受けた結果かと推測している。

 

(私みたいにダラダラ残ってるオタクもいるが)ファン層が適切なタイミングで適切に入れ替わることはグループにとってとても健康的だと個人的には感じている。(この点は秋元真夏卒業コンサートで「乃木坂は世代交代がきちんとできたグループだと思う」と言及していたが)

 

 

その表れとしての1曲が『価値あるもの』だったと思う。

いわゆる超乃木坂的な曲を同年代の3,4期生が歌唱する。乃木坂ファンは"世代"が大好きなのだが (それは私も気持ちはわかるし、この順位で聞けたのは嬉しかった)、今にとっての乃木坂と世代性を強く示す披露になったのではないかと感じた。

 

個人的なこの日のハイライトは2022年の振り返りブロック。バスラではお馴染み、乃木坂46の歴史振り返りである。毎年バスラに参加している、視聴しているファンにはもう飽きた、という意見も少なくないだろうと思う。

 

今年は2022年という1年に焦点が絞られていが、

この振り返りの醍醐味は冗長なVTRを見るのも、過去エモのオーバードーズをすることでもない、

1年の間に楽曲にどのような付加価値がもたらされたか、歴史のなかにある楽曲が今どのような意味合いをもつのかを確かめる場であると思っているのだが、このブロックは前者にライトを当てた形だと思った。

 

取り上げたいのは『Actually...』

2022年一時期活動を休止していた中西アルノが、(彼女もSNSにおける過度な私正義の振りかざしによる被害者でもあるのだが)その事実をただ事実として受け止めた上で披露された同楽曲は、昨年10th year birthday LIveで見られた以上の覚悟と熱をもって伝わり、

それこそノイジーマイノリティに揺さぶられすぎることなく歩みを進めてこられた乃木坂46の一年に安心感を覚えた。

 

その他にも、このブロックでは5期生の軌跡を辿る最初の一歩となる『絶望の一秒前』、世代交代性を強く予感させていた2022年夏曲『好きというのはロックだぜ』齋藤飛鳥の呪縛といえるほどの強い力を必死に再構築しようとする遠藤さくらの苦悩が伝わる『ここにはないもの』など、リリース当時をすぎたからこそ意味や解釈が付与されているものもあったと思う。

これらの楽曲がさらに思い出になっていく未来に、それぞれの曲がどのような一面を新たに見せてくれるのか、楽しみである。

 

また余談にはなるが、約3年ぶりの声出し解禁ライブということで、ファンのフラストレーションの解放と、待ちに待ったぞという高揚感の爆発に包まれた会場の空気感も、配信ながらに心躍るものがありました。

 

2. "乃木坂になる"ということ 〜5期生ライブ~

 

2日目は5期生ライブ。

 

「Tell me how you feel looking at yourself」

そんな問いかけから始まる『絶望の一秒前』で始まり、もうこの曲は5期生にとっての立派なアンセムだよなと思いつつ、ライブが進んでいく。

全編を通して、圧倒的な個性とタレント性で突き進んでいくライブは、見ていて清々しいものがあった。どこを見ても誰を見てもしっかりしている、歌えて踊れている。「1年で、こんな立派にワンマンライブができるの?」と思いながら、

前半の表題曲ブロックや、AKB48的アイドル性を内包する『17分間』『バンドエイド剥がすような別れ方』をはじめとする宴会ライブ曲が繰り広げられる終盤ブロックは、考えることをやめて楽しむことができ、まあお酒が進むこと進むこと。

 

さて、ここで取り上げるのはメンバーそれぞれが曲をピックアップし披露する中盤の乃木坂46の歴史振り返りコーナー。

 

「やっぱりやるのかー」と少しは思いながらも、蓋をあけてみると乃木坂46としてお披露目されて一年になる彼女たちが、乃木坂46の中で過ごし、彼女たちなりの乃木坂46を表現する場であったと感心する箇所がいくつもあった。

 

個人的ハイライトは岡本姫奈の『Sing Out!』

同楽曲は"齋藤飛鳥×ダンス"が表現として曲を象徴するものの1つになっているが、彼女はそれを単なるコピーではなく、楽曲におけるその重要性を十分に理解した上で解体し、彼女自身のエッセンスであるバレエを用いて再構築していた。

この曲の真ん中に立つ表現としての最適解の1つだったと思う。もし会場でみられていたら、口を開けて見とれていただろう。それぐらい美しかった。

 

他にも、池田テレサ『他の星から』や、井上和の『Routes 246』など、"憧れを披露する"ということ以上に、彼女たち自身の意思と思想をもって自分の表現をする。

かつて、これまでの乃木坂に対しカウンター的に捉えられることもあった5期生が、乃木坂46にきちんと溶けた(というより、乃木坂46が5期生に順応したという方が正しいのか)、彼女たちが"乃木坂46になる"ということは、こうなのだとライブ全体を通して知ることができ、5期生を遠くから応援していたいおじさんは満足した。

 

この先、彼女たちの表現がより乃木坂46の核になって行った時に、楽曲たちはどんな風に表情を変えるのか、今からとてもとても楽しみにしている。

 

3.乃木坂は光 「光は愛」〜4期生ライブ~

 

歌詞にそんな言葉があったから彼女たちがそうなったのか、元々あった彼女たちの素養が歌詞通りに発露しただけなのか。

 

一言でまとめてしまうと"あたたかいライブ"だったなと思う。

4期生の個性や思いが『4番目の光』へ収束する形でライブが展開され、その個の光は"愛"なのだと同楽曲をもって示される前中盤、そして容赦なく送り込まれる4期生楽曲の波を浴びる後半。

4期生ライブは前回壮絶な歴史教育の結果を見せられていたので少し心配していたのだけど(苦笑)そんな心配は杞憂だった。

 

幕開けは乃木坂46における彼女たちの物語を辿るかのような、4期生がセンターを務めた表題曲メドレーを経て、中盤のコーナーに入る。VTRによる語りと『4番目の光』の歌詞をリンクさせつつ楽曲が披露されていくのだが、ハイライトは矢久保美緒がピックアップした『他人のそら似』だった。

乃木坂10周年を記念して作られた楽曲を「これからもこの場所で輝き続けたいです!」と力強く宣言する矢久保の姿とそれを笑顔で取り巻く4期生の姿には4期生の"和"を強く感じさせ胸を打つものがあった。

矢久保はバラエティでは「しゃくちゃんしゃくちゃん!!!」なんて言っていたりその遠藤さくらをめぐって林瑠奈と喧嘩芸をしたりしているが、その愛の方向性と大きさは4期生にとって何ら間違いではないし大きな力になっているなと思う。

 

そしてこの次に遠藤さくらからの4期生への言葉があり、『4番目の光』に繋がるのだから、この構成には膝を打った。(あと、引用にはあるが「覚悟を決めたときの遠藤さくらはすごい」ね、本当に)

 

それでいて後半戦は自分たちの持ち曲を連発する。それが歴史を彩ったどの曲よりも盛り上がるのだから、本当にすごいなと思った。彼女たちの楽曲は会場アイドルのコンサート会場から、ダンスホールやライブハウスに変えることができるんだなと。

『ジャンピングジョーカーフラッシュ』なんかは一聴した時ハマらなかったものの、声出しライブで好きに出来る環境で味わった時に、めちゃくちゃに楽しかった。

(実際に私が体験したのは秋元真夏卒業コンサートでの披露になるが)

 

以下は『I see...』の際に感じたものだが、やっぱり4期生による「バカになろうぜ!」の誘いには救いがある。

 

 

 

話が少しそれてしまったが、乃木坂46とは皆を救ってくれる光の場所であり、それを構成してるのが彼女たちであり、その彼女たちをそうたらしめるのは乃木坂46への愛なのだと、筋の通った構成で説得させてくれたライブだった。

 

4. "乃木坂46である"ということ 〜3期生ライブ~

 

全員が主人公。全員がスター。アベンジャーズ

乃木坂46であるとは何なのか。その答えを示してくれたライブだったと思う。

 

(私の知る限りの狭い狭い世界の話だが)

3期生ファンには"3期生ライブを熱望している人"がとても多い。

それもかなりの熱量で。

私もその1人ではあるのだが、それはやはり彼女達が初期から単独ライブや、3人のプリンシパルなど、板の上で成長する様を目撃し、そのストーリーに沿って応援してきた人が多いからかなとも思う。それでいて、これまでのライブにおいても彼女たちはあくまでストレートに"ライブ"を体現していた。いやはや体育会系とはよく言ったもので(というよりそれより過激派なのだが)、3期生ライブは彼女たちとファンの殴り合いだ。

彼女たちは『僕の衝動』の伊藤理々杏よろしく本気を見せてくるし、我々もそれに負けじと熱量を送る。

その熱量とベクトルのバランスが絶妙に保たれている3期生とその応援界隈は、何気に凄いなと思っている。

 

さて、このライブは彼女たちが乃木坂46だと言わんばかりの正攻法なセットリストで、その中で3期生の関係性や乃木坂46の中心を担う覚悟を、期生楽曲をキーにして紡いでいた。

 

冒頭『僕は僕を好きになる』『空扉』『三番目の風』の3曲はストリングスが大幅に加わったアレンジにより、"刮目せよ"といわんばかりの威風堂々とした、それでいて荘厳な様相を呈し、乃木坂46のライブにおける(特にオーケストラなど生演奏が加わる際の様式美を再現していたなと思う。

 

中盤、翌日をもって卒業する秋元真夏への餞として送る『別れ際、もっと好きになる』『錆びたコンパス』の2曲は、3期生ならではだったと思う。好きになっていく別れ際が今であっても、決意と共に「Break a leg」と言葉を送る。

秋元真夏卒業写真集、「振り返れば、乃木坂」のなかで3期生との対談があり、そこでも少し言及されているが、3期生は何よりも秋元真夏が幸せになる事を祈っている。それを自分たちだけが舞台に立つライブの中で、乃木坂46の楽曲を用いて伝える様は、見ていて嬉しかったし、いい後輩が乃木坂にいるんだなと、それでこれからも安心だなと思った。

 

本編最後の『僕が手を叩く方へ』これもやはり取り上げたい。

 

乃木坂46はとてもとても内省的なグループだと思っている。

なので、乃木坂46の意識が内向きになれば(メンバーに向けば向く)なるほど、外野にいる私たちはより強くその物語を感じるようになると思っている。

この曲も当初は12人(歌唱人数と異なるがあえて"12"と記載する)の苦悩と葛藤、それが解放される様のことかと思っていた。2022年の全国ツアーにおいてもその印象は同じ。

ただ、今回のライブは敢えて外へ向けて歌われていた。そして、今伝えたいことが、伝えるべきタイミングで、伝えるべき人の手によって披露された。そんな気持ちだった。

 

2番の歌詞になるが

「僕が手を叩く方が 君にとっての未来なんだ」

乱暴な捉え方をすると、"この道が正解だよ"ということ。

 

前述の通り3期生には様々な苦悩や葛藤があり、あの場にいた人や配信を視聴した人はそれを少なからず共に味わった人だと思う。そんな思いを経た人たちが歌うこの曲は、「ほらね ここへ来られただろう」と、彼女達だけでなく私達も救ってくれたような気持ちになった。"推しててよかった"と思うような気持ちの源泉はここにあったような気がする。

 

この曲が今回はファンへのベクトルも持ち、この先乃木坂46に憧れる人達へ向けても歌われていると思うと、超広義的には内向きなのだが、これまでの深く深く内へ進もうとしていた風景からは様変わりしていたと思う。

 

「君をここまで連れていきたい」というように、新しい景色を一緒に観に行けるんだろう。そんな自信と覚悟に溢れ、そしてファンも全面的な信頼をクラップとして伝える。三番目の風が吹き止むことなんてないんだろうな。どんどん突き進んでくれ。

 

 

 

最終日に向かう前に少し期別ライブを総括すると、やはり乃木坂46にとって同期という存在は特別な意味を持つのだと感じた。メンバーの関係性、楽曲の強度、普段どうせいても選抜とアンダーというくくりが活動の主軸になっている中で、期別でしか出せないものがあるということを再確認できた。(おそらくそれに救われているメンバーもいると思う)

全体の解釈の中では賛否が分かれることもあるだろうが、私はこれからもこのスタイルは変えず、進んでほしいと思う。

 

5."乃木坂46" 〜秋元真夏卒業コンサート

 

最終日、締めくくりとして行われたのは最後の1期生、秋元真夏卒業コンサート

 

終始ハッピーな空間だったと思う。秋元真夏の優しさや配慮も随所に感じられた。

 

「後輩との絆」をテーマに楽曲が展開されていき、かつ秋元真夏自身のキーポイントになった楽曲も披露される形で、秋元真夏がどういう形で11年間を歩んできたかを改めて知ることができた。

 

曲間に幾度と映像を挟み、自身から披露の理由を説明したうえで構成が進む事で、秋元真夏の解釈があらかじめ共有され、会場一体となって曲を味わうことができたと思う。(その表現を見た上で感じることはもちろん人それぞれだと思うが。)

また、これにより過去の曲も"今の乃木坂46としての曲"としてきちんと観客へ理解させていた。

乃木坂46のキャプテンとしての、今の乃木坂46を完結させる(期の幕を下ろす)覚悟と、「後輩との絆」を未来に繋ぐという意味で彼女自身の芯を持って展開されるいい仕組みだったなと思う。実際私自身も『口約束』『忘却の美学』は好きな曲で見たいと思っていたし、これからも誰かが歌い継いでほしいなと思っていたので、選出理由を含めて次の世代へつないでいってくれたのは嬉しかった。

(さすがに『大嫌いなはずだった』は鈴木絢音が卒業したら見れないだろうけど、それはあの2つの軍団のものだからいいかなと思っている)

 

『ひと夏の長さより…』

この日ほどこの曲で"終わり"を意識したことはなかった。夏が終わりまだ名残惜しさや寂しさを感じつつも、どこか一方で清々しさを感じさせるようなメロディーは、「まだアイドルの秋元真夏をみていたい」「こんないい空間を見れて幸せだった、いってらっしゃい」が同居していた心情にピッタリとハマり、ペンライトを振ることも何もすることもなくただ見ることしかできなかった。肌寒い秋風が吹く季節になると、これまでの日々を思い出すことになるのだろうか。

 

『僕たちのサヨナラ』

秋元真夏が最後にセンターとして与えられた楽曲になる。今の彼女に似合うような、少し落ち着きつつも情緒を揺さぶられるいい楽曲だと思う。歌唱中メンバーが順に真夏さんに寄り添っていく場面があるのだけれど、涙を流す人もいたが全体を通して皆が笑顔だったのが印象的だった。

 

秋元真夏と後輩の関係において、畏怖というものがほとんど見られない気がする。最後の1期生としてここまで培ってきた関係性と本人の人柄も相まって、本当に優しさに満ち溢れた暖かい時間が流れていたなと思う。

反対に5期生が多く涙を流していたのが印象的だった。入りたての彼女たちにキャプテンがどういう存在だったのか、それがどれほど大きい存在だったのか、想像に難くないが。

 

観客のアンコールに応え続け「そんなに言われちゃやりたくなっちゃうじゃん」と、3度のアンコールまでやってしまうところや、最後の最後にはけ口を間違えるなど、「やっぱり秋元真夏秋元真夏だ」と改めて思うような、そしてそんな彼女を応援し続けたいと思うような、卒業コンサートだった。

 

 

 

ライブの感想はここまで!

あと最後はオタクの自分語りですー適当に飛ばして下さいー。

 

 

 

 

 

 

 

秋元真夏さん、

改めて卒業おめでとうございます。

初めて気にかけたのはいつだったんだろう。

多分白石麻衣さんの動画を見たくてYouTubeを見てた時だと思います。

まとめ動画に何故かあなたがよく出てくるものだからか、気づいたら検索ワードも秋元真夏になってました。

 

どこか抜けていて、柔和で、自己犠牲で優しさを召喚してしまうような姿に初めは心動かされていたけど、2019年、彼女が2代目キャプテンになる前後からか、「いつ見ても笑顔の真夏さんだけど、無理したりしていないかな」という心配を、どこの誰ともわからぬ外野である私が思うようになっていました。

 

アイドルはアイドルなのだけど、

アイドルはお仕事だし、アイドルはビジネス。

ちょうど私も、世間の仕事において"周りにとって気持ちよくいること"がどれほど大切か、そしてそのしんどさを、スケールの差があまりにも大きいとは言え実感ができるようになっていたからだろうか。

 

そうしてある意味空白のような時間を過ごす中で、彼女の同期が次々に卒業し、真夏さんももうすぐ卒業だよなーと、何となく覚悟ができた気になっていたけど、やっぱりそんなことはなかった。

卒業のニュースが舞い込んで来たとき、何を考えてもいいか、正直わからなかった。仲間内では「もう真夏さんは大丈夫だよー」なんて軽口で話していたけど、"乃木坂46を安心して応援できていたのは、真夏さんがいたからで、真夏さんを推していたからだ"ということに気づかされた。

 

でも、彼女が決めた道。「いやだ!」という気持ちと、「最後に最後に好き勝手やって卒業していく(というよりそれを私が望んでいたのだが)真夏さんを見たい」という気持ちが入り混じり、必死でチケットを取り2/26の卒業コンサートを迎えた。

 

当日。

始まるのが嫌だった。

楽しみだった。

そんな気持ちを抱えコンサートを見た。

 

体を揺らした。

拳を突き上げた。

泣いた。

叫んだ。

とても楽しかった。

 

ただ、アンコールで彼女が発したこの言葉は、真夏さんに対してずっと抱いていた感情にまっすぐに突き刺さった。

 

「私のファンの皆さん。私を応援していて、楽しかったですか?」

 

答えはもちろんYESだ。疑いようがない。ただ、震え声であの時この言葉を発した真夏さんの後ろに、あの小さな背中に、どれだけの重荷と苦悩と責任がのしかかっていたのだろうと思うと、イエーイ!なんて言葉は到底出せなかった。このブログを書いている今も、この言葉が頭を反芻していて抜け出せない。それほどまでに、私の中で重く、大切な言葉になっている。

 

この愛おしくも名残惜しい宴から数日後、

真夏さんの事務所移籍が発表。

正直意外ではあったものの、新しい切り口で色々なことに挑戦していく真夏さんが見られると思うと、今は純粋に楽しみだと感じられる。それも、彼女がMCでも伝えていたが、3,4,5期生ライブにおいてそれぞれが素晴らしいライブを披露したからだろうし、真夏さんが大事にしてきた乃木坂も、まだまだ頑張れ、応援するぞ、という気持ちになれたからだろう。

 

最後に。たくさん幸せにしていただき、ありがとうございました。ライブも握手会も、モバメのちょっとした報告も、雑誌に載ったりTV出演したりするときのうれしさなど、全部いい思い出です。

ほんっっっっとうに、誰よりも幸せになってください。

それだけを、心から願っています。